東京大学政策評価研究教育センター

背景:理論経済学者と社会学者が共同で挑む「協調の謎」の解明



画像提供:Bobrovee / PIXTA(ピクスタ)

目 次
経済学のビッグ・クエスチョン:どうすれば協調できるのか?
経済学者と社会学者のコラボレーション
理論研究と事例研究の組合せ

経済学のビッグ・クエスチョン:どうすれば協調できるのか?

人間は、どうすれば他者と協力し合うことができるのか。この謎を解明することは、経済理論、ゲーム理論における大きな研究テーマの1つである。現実のさまざまな社会問題に目を向けると、協力し合えれば全員にとってより良い結果が得られるのにそれが実現できず、望ましくない結果を招いてしまう例は少なくない。

なぜこんなことが起るのだろうか。ポイントは「協調するにはコストが掛かる」という点だ。これにより、相手には協調的に行動してもらいたい一方で、自分はコストの掛かる行動をしたくない(つまり、自分は怠けて相手にフリーライドしたい)誘惑に駆られ、協調の達成が阻まれるのである。そのため、この誘惑をいかにコントロールするかが協調達成のカギとなる。

協調達成のための最も一般的な方法は、当事者同士が長期的な関係性を築くことである。これは、ゲーム理論の一分野である「くり返しゲームの理論」において数理モデルに基づいて示されてきた。長期的関係の理論は、「今日協調すれば将来相手から見返りがもらえる一方で、今日怠けると将来相手から報復される」という状況下で協調が達成されると説明する。

くり返しゲームの理論には多くの研究蓄積があるものの、数学的にも非常に複雑なものが多く、理論と現実の関係は必ずしも明らかにされてこなかった。「論文プレビュー」で紹介する Kandori and Obayashi (2014) は、まず現実に協調が達成されている事例をくり返しゲームの視点で丹念に分析し、現実と理論の接点を明らにしたという点で、画期的な研究である。

この論文では、「コミュニティ・ユニオン」という特殊な労働組合を事例に取り上げる。コミュニティ・ユニオンとは、日本で一般的な企業別労働組合とは異なり、誰でも個人で加入できる地域の組合である。この事例を理論の眼鏡を通して分析し、「どのような条件のもとで協調が実現し、維持されているのか」を説得的に示すことが、本論文の大きな目的の1つである。さらにこの分析から、理論に基づいた事例研究の有用性も実感することができる。

経済学者と社会学者のコラボレーション

くり返しゲームの理論では、通常は同じ人が長期的関係を継続していく状況が描かれる。一方で、本論文の著者の1人である神取氏が1989年にスタンフォード大学に提出した博士論文の中で分析したのは、くり返しゲームのプレイヤーが次々に入れ替わっていくような状況である(Michihiro Kandori, "Repeated Games Played by Overlapping Generations of Players," The Review of Economic Studies, 59 (1): 81-92, 1992)。これを「世代重複型(overlapping generation: OLG)のくり返しゲーム」という。会社や組織はずっと続いていくけれども、その中のメンバーは順次入れ替わるような状況をイメージしてほしい。この理論により、人々が次々に入れ替わる組織で協調が実現するというより現実的な状況を分析することができる。

当時の分析では、「新規メンバーは、そのゲームで過去に起きたことをすべて知っている」という仮定が置かれていた。この仮定により、新規メンバーは過去に協調していた既存メンバーには協調を通じて見返りを与え、怠けていたメンバーには罰を与えることができる。これは協調達成のための重要な条件となる。神取氏はこの仮定のもとで、一般的に協調が達成されることを証明したのである(世代重複型のくり返しゲームにおけるフォーク定理の証明)。

さて時代は下って、2013年3月に一橋大学で開催されたゲーム理論ワークショップで、本論文のもう1人の著者である大林氏がある報告を行った。ゲーム理論ワークショップとは、毎年3月に開催されている社会科学や自然科学の多様な専門分野の研究者が集う研究会である。大林氏の専門は社会学であり、その報告では世代重複型のくり返しゲームと非常に近い構造をしたコミュニティ・ユニオンの事例を紹介し、実際にそこで協調が達成されている構造について議論した(「プレイヤー流動性のある集団における利他的慣習成立のメカニズム:Overlapping Generation Gameの社会学的応用」)。神取氏がこの報告を聴いて強い興味を示したことがきっかけとなり、2人の共同研究が始まることとなった。実は、大林氏は過去に東京大学で社会学を学んでおり、在学時に神取氏のゲーム理論の講義を受講していたという関係であった。

報告当時は、まだ調査が途上でデータも不十分であり、本当にそれが世代重複型のくり返しゲームの構造だと言えるのか、メンバーが頻繁に入れ替わる中で、誰が、なぜ他者を助けているのか、実際にはどれだけの助け合いが生じているのか、などといった詳細はわかっていなかった。また大林氏は当初、最も基本的な戦略の1つであるトリガー戦略(相手が協調していれば自分も協調するが、1度でも相手が協調から逸脱するとその後は自分もずっと協調しない戦略)で協調構造を説明できると考えていたが、本当にそれで適切な説明ができるのかも検証する必要があった。これらを乗り越えるために、2人はさらなる調査を進めた。その後、米国科学アカデミー(National Academy of Sciences of the United States of America)が定期的に開催しているダーウィン進化論に関するシンポジウムの1つである、ダーウィン理論の社会科学への応用("Darwinian Thinking in the Social Sciences")をテーマとする会議に神取氏が招かれ、そこで報告するためにKandri and Obayashi (2014) がまとめられた。

理論研究と事例研究の組合せ

1つの事例を詳細に調べ上げて分析する「ケース・スタディ」と呼ばれる研究手法は、社会学や経営学等の分野では一般的であるものの、経済学、特にくり返しゲームのような理論的な分野ではほとんど用いられることなかった。しかし実はケース・スタディは、理論が現実で起きていることをいかに説明できるかを検証することができるパワフルな手法である。

経済学において例外的とも言える本格的なケース・スタディは、スタンフォード大学の経済史研究者アブナー・グライフの研究である。グライフは、エジプトに貯蔵されていたヘブライ語の古文書を丹念に読み込んで徹底的に事実を調べ上げ、11世紀の地中海遠隔地貿易において、ユダヤ人商人が代理人との協調を達成して貿易を成功させていたことを、くり返しゲームの理論を用いて解明した(アブナー・グライフ著/岡崎哲二・神取道宏監訳『比較歴史制度分析』NTT出版、2009年、および監訳者による同書の「解説」〔ウェブ公開〕を参照)。

その後は経済学においてケース・スタディが脚光を浴びることは少なかったが、神取氏らは理論に基づく事例分析は非常に有効であると考えている。現実は非常に複雑であり、やみくもに事例を調べても有用な知見は得られない。そこで力を発揮するのが、理論だ。理論に基づいて事例を精査することで、調べるべき重要なポイントをあぶり出し接近することができる。たとえば神取・大林氏の論文のように、協調する誘因を人々に与えることの難しさがどこにあるのかを見出すうえで、くり返しゲームの理論は現実を読み解くためのベンチマークとなるのである。

ただし神取氏によれば、現実と理論の間にはかなりのギャップがあり、既存の理論がそのまま事例に当てはまるというような状況はまずないという。むしろ、さまざまな理論研究を十分に理解することで得られる分析のノウハウが、新たに事例を分析する際に役に立つ。それにより、事例の核心に接近し、説明力のある理論を新たに構築することができるのである。

上述のグライフも「文脈に依存した相互依存的な研究方法(interactive, context-specific analysis)」と呼んで同様の指摘をしている。ケース・スタディ、事例研究で重要なのは対象を十分に調べ、もし自分が現場にいたらどうするかという感覚を磨くことだ。その現場感覚をもとに、モデルと現実を行ったり来たりして、事例にフィットした理論モデルを構築するのである。

理論ベースの事例研究を行ううえで最も重要なポイントは、「理論モデルの構造に近い現実の事例をいかにしてみつけてくるか」という点であり、ここが研究者の腕の見せ所となる。理論の設定に近い状況の事例を発見できれば、その理論が示す均衡や予測に基づいて、実際に起きていることを調べることができる。そして、理論が示す均衡が現実の行動を確かに説明できるものなのか、理論としてはおもしろいけれども現実を説明することはできないものなのかを検証することができるのである。

本論文(Kandori and Obayashi 2014)は、理論経済学者と社会学者の共同作業である。この研究でも、まずは世代重複型のくり返しゲームによく似た構造であり、かつ非常に単純な構造を持ったコミュニティ・ユニオンの事例をみつけたことが、豊かな洞察につながった。そして詳細な調査を行って事例に入り込み、現場感覚を磨いた。これら点では、社会学者である大林氏が特に大きな力を発揮した。そして、その情報をもとに現実の協調を説明する理論モデルを構築した。この点は、理論経済学者の神取氏が比較優位を持っていた。この研究は、専門分野の異なる2人の研究者がそれぞれの優位性を発揮できたからこそ得られた成果である。 

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CREPEフロンティアレポートシリーズはCREPE編集部が論文の著者へのインタビューをもとにまとめたものです。