東京大学政策評価研究教育センター

CREPECL-3:CREPE設立1年を迎えて

川口大司(東京大学大学院経済学研究科教授/東京大学政策評価研究教育センター副センター長)


画像提供: emojoez / PIXTA(ピクスタ)

目 次
発足のきっかけ
活動の柱
一般向けのコミュニケーション
政策現場との共同事業
目指すべき政策形成のあり方、CREPEが担うべき役割

発足のきっかけ

―― 東京大学政策評価研究教育センターが発足して約1年が経過しました。まずは、設立の経緯からお聴かせください。

近年、日本でも「実証結果に基づく政策形成」(Evidence Based Policy Making:EBPM)が注目されています。私たちもそうした流れに対応するため、東京大学総長裁量経費および経済学研究科からの資金をいただいて、2017年10月に東京大学政策評価研究教育センター=CREPE(クレープ:Center for Research and Education in Program Evaluation)を設立しました。

市村英彦・現センター長は、以前から自身が中心となって運営する50歳以上の中高齢者を対象としたパネル調査、「くらしと健康の調査(JSTAR)」で蓄積されたパネルデータの保管・利用促進のためのセンターの創設を構想していました。その構想をさらに発展させ、官民との連携も視野に入れた政策評価の研究・教育の普及と促進を目的とするCREPEの設立を提案しました。

この構想に対して、持田信樹研究科長をはじめとする経済学研究科執行部の方々にもご賛同いただき、さらに五神真東大総長のご理解も得て、センターの設立が実現しました(肩書は2017年当時)。


活動の柱

―― 発足後は、どのような事業に取り組まれてきたのでしょうか。

CREPEの大きな柱は、研究事業と教育事業です。研究事業としては、アカデミックな研究プロジェクトの推進に加えて、官庁や自治体等との共同研究にも取り組んでいます。また教育事業の一環として、一般向けの公開講座や情報発信も行っています。

研究事業では、メンバーが各々の研究に取り組むと同時に、海外から日本への「頭脳還流」を重視しています。近年、海外で学位を取得した日本人経済学者が帰国しない、あるいは国内の学者が海外へ移籍していくといったことが指摘されています。そうした外国で活躍している研究者にお声掛けし、一時的に帰国してセミナーやレクチャーを行っていただくために、CREPEでポストを用意しています。これまでに、笠原博幸先生(ブリティッシュ・コロンビア大学)、清滝信宏先生(プリンストン大学)、重岡仁先生(サイモンフレーザー大学)、成田悠輔先生(イェール大学)、吉田二郎先生(ペンシルベニア州立大学)など、多くの先生方に滞在いただきました(注:2018年11月まで。現在の客員メンバーはこちら)。その中で、お招きした先生方と本学の教員や大学院生たちとで共同研究が始まるなど、非常に有意義な交流が実現しています。

教育事業の活動としては、主に本学修士課程の院生を、毎年10名程度トレイニーとして受け入れ、奨励金を支給しながらCREPEの活動を通じた実地訓練を積ませています。現在、彼・彼女らは古川知志雄特任研究員のリーダーシップのもとで、研究のための公共財となるような素材や仕組みの提供に取り組んでいます。たとえば、税制や政策の変遷をポスター形式で一覧できる年表の作成です。日本のそうした側面の情報を俯瞰できる素材を提供することで、主に若手研究者に対して政策評価研究への興味喚起と参入の促進をねらっています。

さらに、日本版のタックス・シミュレーターの制作も進めています。これは所得や就業、家族構成などを入力すると税額がアウトプットされるコンピュータのプログラムで、アメリカやカナダなどでは実際に使われているものです。先に述べた年表に示されている税制変化に対応した結果を提示できるシミュレーターの完成を目指しています。また、日本の地図データとさまざまな統計データを連携させるプログラムや、政府統計を実際の分析に利用できる形式にコンバートするプログラムの作成など、多岐にわたるプロジェクトに取り組んでいただいています。とはいえ、大学院生は本人の学業優先なので、CREPEでの仕事は週に10時間を超えないように設計し、従事してもらっています。

またリサーチ・アシスタントも採用し、以下でお話する行政との共同プロジェクトの補助も含め、データ収集や整理など多様な業務を任せています。トレイニーやリサーチ・アシスタントには、こうした実地作業に取り組んでもらうことで、将来の研究や仕事に活用できる知識やスキルを身に付けさせることを目指しています。


一般向けのコミュニケーション

―― 一般向けとしては、どのような活動を行っていますか。

これまでに、市村と私が政策評価方法の公開講義を実施しました。市村が2018年2月から3回にわたって行った連続講義(「政策評価の方法・入門」)には、非常に多くの方々にご参加いただきました。ここでは毎回、練習問題の出題とティーチング・アシスタントによる補足説明および問題解説のためのTAセッションも複数回行われました。私が担当した講義は定員を30名に限定し、2018年10月に2回にわたって行いました(「政策評価の実践・集中コース」)。中央官庁、地方自治体、民間企業や新聞社の方々にご参加いただき、講義の後でご自身の職場での課題を出し合い、それをどのような方法で評価すべきかについて少人数グループで議論して発表してもらい、参加者でディスカッションを行いました。

公開講義やそれ以外も含め、一般の方々とお話する機会を重ねたことで、EBPM推進の課題がどの辺りにあるのかも次第にわかってきました。最近では「因果推論」が注目されていますが、実はより大きな課題は、それよりもかなり手前にあるのです。たとえば、生活保護受給者への就労支援政策の効果を分析するためにデータを集めようとした際に、就労支援を受けた人たちのデータしか記録されていないといったことがありました。支援を受けた人たちと受けていない人たちの両方のデータを集めて、政策の目的となる変数(ここでは就職できたか否かなど)を比較しなければ、政策の効果を判別することはできません。しかし、非常に優秀な人たちであっても、政策による支援の対象者だけを調べれば政策の効果がわかると勘違いしているといった例があるのです。もちろん、指摘されればすぐにわかることなのですが、これに類する事例は一般に非常に多いのだということを実感しました。そのため、まずは効果を測るためにどのように比較すればよいか、そのためにどのようにデータを収集すればよいか、についての考え方から普及させることが必要だと考えるようになりました。そうした基礎があってはじめて、さまざまな因果推論の手法が実践できるようになります。一般向けの教育事業では、このことを強く意識して取り組んでいます。

―― ウェブサイトでもさまざまな情報発信に取り組まれていますね。

 CREPEが実施するセミナーやレクチャー、カンファレンスの情報は、常に本ウェブサイトやツイッター等を通じて発信しています。加えて、経済学の専門家でない方々を対象に、経済学や政策評価に関する研究の最前線でどのようなことが行われているかを知っていただくために、「CREPEフロンティアレポート」という記事を公表しています。私たちは、やはり活動の重点を研究に置いてこそ、政策への貢献も可能となると考えています。しかし私たちの研究成果は、基本的には学術論文として発表されるので、一般の方々にご覧いただける機会は非常に限られてしまいす。そして時間的な制約もあり、研究者全員が一般向けの発信を行えるわけではなりません。そこで、外部の編集者に研究者へのインタビューから記事作成までをお願いし、「フロンティアレポート」という形で発信していくことにしました。まだ始まったばかりですがご賛同いただける研究者も多く、普段マスコミにはあまり登場しないようなメンバーの研究も含めて、これまで一般にはなかなかお伝えできなかった研究の世界からのメッセージをお伝えできればと期待しています。


政策現場との共同事業

―― これまで進められた官庁や自治体との共同研究には、どのようなものがありますか。

発足と前後して、内閣府と共同で生活保護受給者への就労支援政策の評価・分析を行いました。これは、内閣府のEBPMモデルケースの立ち上げをお手伝いする形で進めたプロジェクトです。現在では、総務省行政評価局と共同で女性活躍推進に関する政策評価についての検討を進めたり、また東京都と共同で政策評価に取り組むための検討を始めたりしています。

加えて、総務省統計局消費統計課などとの共同で消費統計の改善に向けた研究を進めています。同課の消費統計は、調査対象となる家庭が家計簿を付けるなど、負担の大きな調査です。少子高齢化が進む中で正確な消費統計を構築するために、高齢者の資産を適切に把握することも求められています。これら多様な課題への対応と同時に、回答負荷を減らすための調査の設計についても議論しています。調査方法の変更で従来の調査との断絶が生まれることもあるので、それへの対応も必要となります。さらに、全員から回答を得られるわけではないので、母集団と調査対象であるサンプルとのズレを補正するための手当も必要です。こうした課題を克服し、2019年10月に実施される全国消費実態調査に役立てていただけるような貢献をするのが目標です。

―― 官庁や自治体と連携を行った感想は、いかがでしょうか。

共同事業を通じて、研究にも有益な知見を得ることができました。たとえば、消費統計では調査の回収率の低下が懸念されています。回答してくれない対象者がある特定の属性を持った人々に偏ってしまう場合には、調査結果から全体像の正確な姿を推測することができないという問題が生じてしまうため、それを補正する必要が出てきます。先ほど述べた、母集団とサンプルのズレの問題への対応です。さまざまな対応の方法が考えられますが、実際に総務省の現場の方々のお話を伺うと、データを回収する際の事務的な記録・情報を得ることができることがわかりました。現在、このような事務的なデータを用いてサンプルセレクションバイアスを補正する方法についてのアイデアを温めています。

これら点は、総務省と共同研究を行わなければ思い付きもしなかったことで、大きな収穫です。政策の現場の方々が頭を悩ませている問題は、研究者にとっても重要な問題である可能性があります。そうした問題を共有して、現場にも研究にもよいフィードバックができるように努めていきたいと考えています。

目指すべき政策形成のあり方、CREPEが担うべき役割

―― 最後に、CREPEが今後担うべき役割への展望をお聴かせください。

2019年度は、行政の担当部局の方々と協力して、EBPM実践のためのガイドライン作成を目指したいと考えています。行政ではモデルケースが重視されるのですが、「モデル」といっても実際はケースバイケースなので、一般化されたガイドラインが示されていないと、なかなか実践の拡大にはつながりません。個別ケースの羅列ではなく、政策評価で考慮すべき一般的ルールが必要なのです。しかし、学者だけでガイドラインをつくっても、実際の現場での実行可能性等は把握できません。そのため、作成には行政実務を担う方々との協力が不可欠です。

 現在、省庁で進められているEBPMへの取り組みは、各省庁の担当官がそれぞれの政策担当部局に準備をお願いして回っているといった状況です。現場から出るさまざまな意見や疑問には、担当官が対応しています。そのような現場で役立てていただけるようなガイドラインを作成することが目標です。科学的な手法を日常の業務に生かす取り組みでもあるEBPMの実践は、行政官にとっても興味深いものであると思います。正しい方法をお伝えすることで、実務を担う方々が意義を見出し、納得して取り組んでいただける環境の整備に貢献することが、CREPEの果たすべき役割だと考えています。

 またCREPEでは発足当初から、各省庁や自治体、企業に対して経済学やデータ分析の視点からコンサルティングや研修を提供する事業会社を設立することを目標に掲げてきましたが、これに引き続き取り組みます。この事業会社とCREPEの両輪で、経済学やEBPMの普及・実践を加速させていきたいと考えています。

―― ありがとうございました。

[インタビュー収録日:2018年11月13日]

(付記) 本コラムは、日本評論社発行の『経済セミナー』2019年2・3月号(通巻706号)掲載の「この人を訪ねてVol.12 CREPE設立1年を迎えて」に際して行われたインタビューをもとにまとめたものです。

記事作成:尾崎大輔(日本評論社)