東京大学政策評価研究教育センター

論文プレビュー: 正規・非正規の間の雇用調整における格差は存在するか?――為替レートの変動を利用した分析


論文:Izumi Yokoyama, Kazuhito Higa and Daiji Kawaguchi (2019 forthcoming) "Adjustments of Regular and Non-Regular Workers to Exogenous Shocks: Evidence from Exchange-Rate Fluctuation," Industrial and Labor Relations Review, forthcoming.

著者:横山泉(一橋大学)・比嘉一仁(内閣府経済社会研究所)・川口大司(東京大学)


画像提供:bee / PIXTA(ピクスタ)

目 次
イントロダクション:緩やかな景気回復の中での雇用情勢
急激な円高で、輸出企業は雇用を減らす?
企業活動を捉えた調査データから読み解く
円高が引き起こす雇用調整のメカニズム
日本の労働市場が抱える「脆さ」

イントロダクション:緩やかな景気回復の中での雇用情勢

日本経済は、2008年の世界金融危機や2011年の東日本大震災等を乗り越え、2012年11月を底とし、以降2019年4月現在に至るまで緩やかな回復基調を継続してきた。直近(2019年3月)の内閣府の月例経済報告でも、その傾向は続いているとされている。この長期的な景気回復の要因の1つとして、雇用情勢の改善が指摘されている(内閣府『平成30年度 年次経済財政報告(経済財政白書)』)。就業者数の推移は、総務省統計局「労働力調査」によれば、大きな経済へのショックを経験した2007~12年の期間に約144万人減少(約6415万人→6271万人)した一方で、2012~18年の期間には約384万人増加(約6271万人→6655万人)した。少子高齢化で労働力人口が減少しつつある中で就業者数が全体としてこのような推移を見せている要因として、女性の就業率が上昇していることが挙げられる(CREPEFR-6, 7の「背景」参照。いわゆる女性就業率の「M字カーブ」の曲がり具合が次第に緩やかになっている)。

しかしその中で、パートタイマー、有期雇用等のいわゆる非正社員・非正職員(以下、「非正規労働者」。フルタイムで無期雇用のいわゆる正社員・正職員も以下、「正規労働者」)の増加が指摘されている。同じく「労働力調査」で同期間の非正規労働者の増減を確認すると、2007~12年の期間に約81万人増加(約1735万人→1816万人)、2012~18年の期間では304万人も増加(約1816万人→2120万人)した。うち女性は前半期間に53万人増(約1196万人→1249万人)、後半期間に202万人増(約1249→1451万人)と、非正規労働者の増加の多くを占めていた。

このように、2012年末以降の長い景気回復期の中で就業者数の増加という面で雇用改善が見られるものの、そこには女性の就業増や、非正規労働者の増加が多く含まれているのである。一方で、2008年の金融危機の際には、「背景」で触れたように非正規労働者を中心に雇用調整が行われた。2008年から翌09年にかけての就業者数の変化を、正規労働者と非正規労働者の増減率に着目してみると、図1に示したように非正規雇用が大きく減少方向に動いたことがわかる。

図1 2008~09年の就業者数の増減率

(出所)総務省統計局「労働力調査 長期時系列データ」より作成。


この動向から示唆されるのは、「企業は景気拡大期には正規に比べて非正規を中心に雇用を増やす一方で、景気後退期には正規の雇用量は維持するが、非正規労働者を減らす形で雇用調整をしているのではないか」ということである。実際に、こうした指摘は従来から「二重労働市場」などと呼ばれ、企業の内部と外部の労働市場は雇用環境のさまざまな側面で分断されていることが指摘されてきた。昨今の正規労働者と非正規労働者の間の雇用の安定や賃金水準における格差の問題にも重要な視座を与える概念だ(玄田有史 (2011)「二重構造論──『再考』」『日本労働研究雑誌』609号)。経済協力開発機構(OECD)も、日本の労働市場における非正規労働者の相対的な賃金の低さや雇用の不安定さ等の問題や、労働市場における二重性の存在を指摘している(OECD Employment Outlook 2018)。

ここで懸念されるのは、景気や企業の業績に反応して非正規労働者への雇用調整が大きくなされる一方で、正規労働者への雇用調整があまりなされないような非対称性が存在するとすれば、これまでの緩やかな景気回復の中で増加してきた非正規労働者の就業は、一度大きな経済的ショックを受け、景気が下降し企業の業績に大きな悪影響を及ぼすことがあると、一気に悪化してしまう可能性があるのではないか、という点である。そのため、今後の労働市場のあり方を考えるうえでも、正規と非正規の雇用調整における非対称の存在と、そのメカニズムを明らかにすることは、重要な研究課題である。

本稿で紹介する論文(Yokoyama, Higa and Kawaguchi 2019 forthcoming)は、日本の企業ごとのデータを用いて、正規・非正規間の非対称な雇用調整の実態の解明に取り組んだ研究である。さらに、企業がそうした非対称な調整を行う原因の分析にも挑戦した。しかし、データから、企業の業績が雇用調整に及ぼす因果関係を明確に突き止めるのは簡単なことではない。そのための本論文で用いられた分析枠組みとデータについて、順を追って紹介していこう。

急激な円高で、輸出企業は雇用を減らす?

正規・非正規間の雇用調整の違いに着目した研究は、従来から行われてきた。国や産業レベルで集計された経済動向や雇用量等の時系列データを用いたもの、企業レベルのデータを用いてヨーロッパ諸国やアメリカ、日本を対象にとしたものなど、多くの先行研究がある。 しかし先にも述べたように、「景気や業績の変動の影響を受けて、企業がどのように雇用調整を行うか」という因果関係の構造を現実のデータから見出すのは、実は非常に難しい。また国ごとのデータはマクロの経済の動向を把握することはできても、個々の企業の特性をふまえた雇用調整の動向の仕方の違いや、なぜそのような調整を行うのかといったメカニズムまでを明らかにすることはできない。そうした分析を行うには、個々の企業ごとに特徴を捉えたデータ(個票、ミクロデータ)が必要となる。

加えて、企業の雇用調整に関する因果関係に迫るうえで重要なのは、個々の企業の活動とは無関係に(外生的に)発生し、企業の業績に影響を及ぼすショックに着目することである。業績や雇用に影響する要因は、無数に存在する。中には、その両者に影響を及ぼす要因が背後に潜んでいる場合もあり、業績と雇用のデータから両者に関連のありそうな変動が見られても、それで因果関係があるとみなすことはできない。別の要因が両者に作用して、関連があるように見えているだけかもしれないからだ。

たとえば、いわゆるAI(人工知能)がもてはやされる中で、製品需要の見通しが明るいF社と、見通しの暗いD社があるとしよう。両社は同じ産業に属する製造業だが、製品の魅力が異なり企業レベルでの需要成長の見通しが異なるのである。F社は従来通り雇用を増やすと同時にAI導入で効率アップして需要増に対応しようとした一方、先行きの暗さを反映してD社は雇用を増やさずAIも導入しなかったとしよう。

この状況では、企業レベルの「需要見通し」という要因が企業の「雇用」と「AI導入」の両方に影響を与えている。しかし、「AI」と「雇用」にのみ着目すると、F社はAI導入をして雇用が増える一方で、D社はAI導入をせずに雇用が減っており、AI導入は雇用を増やすように見えてしまう。しかし、この背後には各企業の「需要見通し」の違いが潜んでいるわけで、ここで表れている関係を因果関係として解釈したら、とんでもないミスリードにつながってしまうことになる。

こうした問題を回避するために、個々の企業の意思決定や活動とは無関係(外生的)に売上等の業績に影響を与えるショックに着目し、それによる業績の変動が雇用にどのような影響を及ぼしたかを見ることで、信頼性のある関係を見出すことができる。

本論文で着目した外生的なショックは、「為替レートの変動」である。たとえば、急激な円高は、輸出企業にとって海外での営業活動が不利になるため、業績に特に大きなマイナスの影響を与える。一方で、円高は中間財を輸入して製造・販売を行う企業にとっては、同額で多くの財を仕入れることができるようになるので、大きくプラスである(円安の場合は逆の動き)。また円高は、まったく輸出や輸入を行っていない企業にとっても影響を及ぼす可能性がある。たとえば、国内で海外のライバル製品が安く市場に提供されれば、顧客はそちらに乗り換えてしまい国内市場での需要が減少してしまうかもしれない。

マクロ変数である「為替レート変動」の影響はすべての会社に及んでしまうので、企業間の比較をすることが難しいと思うかもしれないが、輸出入を積極的に行っているか否かで、為替レートから受ける影響の大小は異なってくる。このことは従来の研究でも着目されてきたものであり、本論文はそれらを受けて、さらに詳細に企業レベルの個票データを用いて、正規・非正規への影響を明確に区別した分析を行った。対象としたのは、2001~12年における為替レートの変動に対する日本企業の反応である。この期間の中で特に大きな動きは、2008年の金融危機の直後に生じた急激な円高だろう。

同期間の為替レートの変動と、正規・非正規労働者の雇用の推移を示したのが、図2である。注意してほしいのは、ここで示している為替レートは、対ドルなど特定の通貨に対する円の価値ではなく、ユーロなど他の通貨も考慮した通貨バスケットに対する円の価値を示している点である。通常は、たとえば「1ドル対して何円か」という外貨基準で表現されることが多いが、ここでは逆に円基準で評価した為替レートとなっている。そのため、図の右軸で見て上に行くほど円高、下に行くほど円安となる。また雇用量については、正規労働者と非正規労働者の雇用量の推移を、2001年を100とした増減の動向を描いている。

図2 2008~09年の就業者数の増減率

(注)為替レートは、国際決済銀行(Bank of International Settlement:BIS)の月次データを用いており、過去12カ月の移動平均をとった推移も示している。正規・非正規労働者の雇用量は、2001年を100とした増減の推移を示している。
(出所)Yokoyama, Higa and Kawaguchi (2019 forthcoming), Figure 1より。


為替レートの推移を見ると、特に金融危機の生じた2008~09年でグラフが円高方向に急上昇している。対して、非正規労働者は2001~08年で上昇しているものの、08~09年で急降下している一方で、正規労働者については大きな変動が見られない。先に触れたように、雇用調整において、正規労働者と非正規労働者の間で非対称な扱いがなされているのかもしれない。

もちろんこれだけでは因果関係だとみなすことはできないので、厳密な分析に取り組む必要がある。まず、企業レベルの個票データを用いて、以下の4つのタイプのグループに着目する。

(1) 売上の中で輸出の割合の大きな(輸出依存度の高い)企業
(2) 仕入の中で輸入財の割合が高い(輸入依存度の高い)企業
(3) 輸出入のどちらの依存度も高い企業
(4) どちらも低い企業

そして、4つのグループごとに反応の異なる為替レートの変動の影響を、時間を追って分析する。たとえば、金融危機前後のような急激な円高が生じると、輸出入に依存する企業は大きな影響を受ける一方で、依存しない企業への影響は小さい。そこで、為替レートの変動前後の業績や雇用調整の状況をグループごとに比較することで、為替レートの変動が企業の業績にどのような影響を与え、またどのような雇用調整で対応するかについて、因果関係の面でも信頼性の高い分析を行うことができる。さらに本論文では、2001~12年という長期間のデータを利用し、前年までの業績や雇用量が当年のそれらにどのような影響を与えるかについても、時系列データの分析手法(AR〔自己回帰〕モデル。論文では2年前、1年前の影響を考慮)によって盛り込んだうえで分析している。

日本を対象とした研究でも、為替レート変動が企業の業績と雇用に与える影響を、企業ごとの輸出入依存度のバリエーションに着目して分析した研究は存在する。中でも、学習院大学の細野薫教授、学習院大学の滝澤美帆准教授、慶應義塾大学の鶴光太郎教授の研究は、2008年の金融危機で急激な円高を受けて、非正規雇用、特に派遣労働者の雇用が減少したことを、企業レベルのデータを用いて分析した(Hosono, K., M. Takizawa, and K. Tsuru (2015) "The Impact of Demand Shock on the Employment of Temporary Agency Workers: Evidence from Japan During the Global Financial Crisis," Seoul Journal of Economics, 28(3): 265-284.)。

本論文は、この研究をさらに拡張したものだと言える。本論文では金融危機の前後に限らず、長期間にわたる為替レートと企業ごとの雇用量や業績等の変動のデータを用いて、両者の関係を分析する。さらに、正規と非正規の間の雇用調整の非対称の存在を実証するにあたり、企業の雇用調整が受ける影響の強さが正規・非正規によってどのように異なるかについても分析する。特にこの点が、本論文のメインの貢献である。さらに、雇用量の調整以外にも、為替レートの変動による業績の変化を受けて、企業は賃金や労働時間によって対応しようとすることも考えられるため、その点に着目した分析も行う。

企業活動を捉えた調査データから読み解く

ここでは本論文が用いた、雇用や業績などの企業に関するデータについて紹介する(為替レートのデータについては、先の図2に関する記述を参照)。

本論文が主に用いたのは、経済産業省「企業活動基本調査」の企業レベルの個票である。この調査は、日本標準産業分類における12分類に属する事業所を持ち、従業員50人以上で、資本金額あるいは出資金額3000万円以上の企業を対象としている(「経済産業省企業活動基本調査の対象【属性】」)。最近の2018年調査では対象数3万7310社(回収率84.1%)と、非常に規模が大きく回収率も高い(詳細は、同調査ウェブサイト参照)。この調査の企業レベルの個票には、従業者数(正規、非正規)、売上額、輸出額、輸入額などのさまざまな変数が記録されている。本論文では、このデータの中でも製造業の企業に絞って分析している。これは、サービス業などよりも製造業の方が、企業ごとの輸出・輸入依存度の違いを、明確に区別できるためである。

輸出入への依存度は、先に述べた4つのタイプごとに分類できる。とはいえ、データに含まれる多くの企業は国境を越える取引は行ってはおらず、売上に占める輸出の割合も、仕入に占める輸入の割合も小さい。したがって、両者のシェアが高い企業から並べる右に裾の長いロングテール型の分布をしている。また、輸出割合が高いと輸入割合も高い場合が多い。加えて、輸出入に依存する企業ほど、売上・従業員の規模も大きい傾向がある。

正規・非正規間の雇用調整の非対称性を見るために、「正規労働者」をフルタイムで無期雇用、「非正規労働者」をパートタイマー、契約期間が1月未満の臨時労働者、あるいは派遣労働者を非正規労働者として定義してデータを分類した。両者の特徴は、性別、学歴、職種の面で顕著に表れている。たとえば非正規は、一般的に女性や低学歴の層に多く、職種では販売、サービス、生産工程などに多いが、管理職は男女とも極端に少ない。

この職種による違いは、「背景」で触れた「企業特殊的人的資本」の蓄積が必要か否かによると考えられる。管理職を務めるには、それなりに長い勤続を経て社内の事情に精通し、そこに適したスキルが必要だ。一方、現場でマニュアル通りに働くことを要求される職種では、勤続が短期で特殊的なスキルを持っていなくても務まることが多い。本論文では、このような企業特殊的人的資本の観点から、雇用調整の非対称性の原因について議論している。

こうした人的資本の蓄積をデータから分析するためには、労働者の勤続年数を用いる。勤続年数が長いほど、企業特殊的な人的資本の蓄積が多いと考えられるためだ。実際、勤続年数が長いほど賃金が上昇することが知られており、これは特殊的人的資本へのリターンとみなせる。また、正規・非正規の雇用調整において、雇用量のほかに賃金や労働時間で調整するケースも考えられる。しかし、企業活動基本調査にはそれらの変数が記録されていないため、これらを考慮するためには、別のデータが必要とある。

そこで本論文では、上記のデータに加えて厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」た。同調査の個票は、事業所ごとに従業員レベルで賃金や労働時間、勤続年数、性別等の属性も含めて記録されたミクロデータである。

このデータを用いれば上記の問題意識に沿った分析を行うことができるが、難点は、企業活動基本調査のデータと、企業レベルで名寄せできないことである。方や企業を対象としたデータであり、方や事業所を対象としたデータであり、共通したIDで区別できないため、個票単位でマッチさせることができない(経済センサスの名簿情報を用いると名寄せできる可能性もあるが、今後の研究課題である)。

そのため、それぞれのデータを、事業所の属する産業、労働者数(企業規模)、および各年のカテゴリで区切って、そのカテゴリに当てはまる形で集計されたデータを双方で作成して合併した(たとえば、「産業E×労働者50人未満×2002年」という括り)。そのため、勤続年数や賃金、労働時間に着目した分析では、企業レベルではなく、「産業×労働者数の各カテゴリで集計された各年のデータ」というレベルで分析を行った。

円高が引き起こす雇用調整のメカニズム

それでは、上記の分析枠組みとデータによる、本論文の分析結果を簡単に紹介しよう。本論文の問題意識は、為替レートの変動が企業の業績や雇用調整のどのような影響を与えているか、中でも正規労働者と非正規労働者の間で、雇用調整の非対称性がどのような形で存在するのかを明らかにすることであった。

先に述べた、前年までの企業の業績(ここでは売上高)や正規・非正規の労働者数が当年の自身の変動に与える動学的な変化も考慮した分析の結果、円高になると、輸出依存度の高い企業ほど、売上高が下がる影響を受けることがわかった。また、非正規労働者数を相対的に大きく減少させる形で雇用調整を行う一方で、正規労働者数の増減には統計的に有意な影響は見られなかった(円安の場合は逆の影響)。具体的には、図3に示したような影響が推定された。これによれば、売上の10%を輸出している企業の場合、10%の円高が生じると、売上高は約1%落ち込み、非正規労働者数は約2.3%減少することが明らかになった(正規労働者数は-0.076とあるが、統計的に有意な影響ではなかった)。

図3 売上に占める輸出額×為替レートが及ぼす影響

(注)売上高、正規・非正規労働者数の自然対数値の前年から今年にかけての変化をそれぞれ被説明変数としたモデルで、説明変数のうち前年の輸出シェアと当年(対数)為替レートの交差項が及ぼす影響。輸出が売上の10%を占める企業において、実質為替レートの10%増価に対する、被説明変数の%変化を示している。
(出所)Yokoyama, Higa and Kawaguchi (2019 forthcoming)Table 3より作成。


また、企業活動基本調査と賃金構造基本統計調査を合併したデータを用いて、賃金、労働時間の面でどのような調整が行われているかを分析した結果、円高になった場合に輸出依存度の高いほど、正規労働者の(時間当たり)賃金が減少し、総労働時間が長くなる影響が見られた一方で、非正規労働者についてはどちらも統計的に有意な影響は見られなかった。

ここから、企業は業績(売上高)に負のショックを受けた際には非正規労働者の雇用が調整弁となっており、正規労働者の場合は雇用を守るものの、賃金や労働時間で調整が行われ来たことが明らかになった。この点は、二重労働市場の議論などで指摘されてきた、正規・非正規間での雇用調整の非対称性の存在を示唆するものである。

このような雇用調整の非対称の原因として、先にも触れたように、正規労働者と非正規労働者がそれぞれ蓄積している企業特殊的人的資本の違いが影響していると考えられる。長い勤続を経て企業特殊的人的資本を備えた人材は、一度手放してしまうと再び労働市場で獲得するのは容易ではない。そのため、景気や業績が後退して雇用調整が必要となった場合でも、そうした労働者を確保しておきたいと思う。特殊的資本を必要としない非正規労働者の場合は、再び労働市場で確保することも比較的容易なので、そうした点は気にせず雇用量で調整されることになる。

本論文ではこの点に関しても、企業特殊的人的資本の重要度の指標としてフルタイム労働者の勤続年数を用いることで分析し、輸出依存度の高い企業において、為替変動による雇用調整がフルタイム労働者の平均勤続年数の長さによってどのように異なるかを、正規・非正規それぞれに関して検証した。その結果、非正規労働者に関しては、フルタイム労働者の平均勤続年数が長いような産業ほど、為替変動に応じて雇用調整が大きく行われているのに対し、正規労働者に関してはそのような傾向は見受けられないということがわかった。つまり、フルタイム労働者の平均勤続年数が長いような、企業特殊的人的資本が重要な産業ほど、正規・非正規間の雇用調整の非対称性は大きいということが明らかとなった。

日本の労働市場が抱える「脆さ」

こうした分析結果は、日本の労働市場にどのような示唆を与えるだろうか。著者の一人である川口氏は、今は経済や労働市場全体として好調を維持しているために、非正規の雇止めのような問題は生じていない(逆に「人手不足」とまで言われる)が、一度大きなショックを受けて急激に景気が悪化すれば、再び金融危機の際のような非正規問題が再燃するおそれがあると指摘する。現在は、好景気を背景に非正規雇用の問題は顕在化していないだけであり、日本の労働市場が抱える本質的な問題、すなわち正規・非正規間の雇用調整の非対称性をはじめとした雇用環境の格差や労働市場の分断は依然として残っているためだ。

加えて川口氏は、労働市場が好調の間に、二重構造をなぐべく解消させる方向に政策を打つべきだと指摘する。雇用終了の際に労働者が被る損失を補償する形で行われる「解雇の金銭解決制度」を導入・整備し、正規の雇用終了と労働移動がスムーズに行われるような制度を設計することで、現在のように非正規だけが対象となる状況の改善につながりうる。またこの制度は、正規を対象とした不透明な解雇・雇用制度を透明化することにも貢献するだろう。

企業特殊的な人的資本を多く備えた労働者を長期に抱え込みたいというインセンティブは、企業は依然として持っており、この構造に国が介入することはできない。そうした人材は、企業にとっては「コア人材」であり、経営の中枢を担う者として重要な存在である。一方、こうしたコア人材をどの程度抱え込むかは、これまでの環境変化の中で次第に変わっている。従来は多くの正規労働者をコア人材として抱え込むのが一般的であったが、近年は非正規の雇用を増やし、コア人材が絞られてきた。さまざまな技術革新によってスポットでの外部との取引や協働が容易になっており、この傾向は今後も加速していくと考えられる。今後の環境変化もふまえると、正規・非正規といった区分で処遇に差を付けるのではなく、勤続年数に応じて単一的な処遇を行い、労働市場の取引を活発化・透明化していくことが重要だと考えられる。

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CREPEフロンティアレポートシリーズはCREPE編集部が論文の著者へのインタビューをもとにまとめたものです。